騒がしい食堂の一角、潔はやっぱりちゃんと場所を選べばよかったかと後悔していた。
野暮用で普段より遅れて食堂へ入った結果、席は粗方埋まっており親しい仲間の近場に空席も見当たらない。悲しい気持ちはあったものの昼休憩時間が圧している今、腹ペコの高校生の体は何よりエネルギーを求めていた。もはや席に優劣なんてない、ただ腰を落ち着けてご飯を食べられたらそれだけで神席。飢餓感とは簡単に人から冷静さを奪うことを、冷静さを奪われていた潔は失念していた。
スプーンに落としていた視線を上げた先には金と青のクソ目立つ後頭部。その隣に座る紫頭は今日に限って金青よりも位置が高い。首筋に青薔薇、うなじに舌を出す唇。
ミヒャエル・カイザーとドン・ロレンツォ、新世代世界11傑に選出されている二人が並んで座っていた。
ロレンツォが無理やり嫌がるカイザーの隣を奪った、とかであれば自分の中のイメージと相違ないが、試合中あれだけバチバチやりあってたのが嘘のように二人は平然と肩を並べて食事をとっている。なんなら親しげに会話に花を咲かせている。
そして何より。
「くっ……僕のカイザーの隣が、でもカイザー楽しそう、くうぅ……」
何より、潔の位置から二つ空けた席に座っているネスが静観していることの理由がつかない。かなりデカめの独り言が出てはいるものの「そこは僕の席なんですよロレ公!!」とかキレて怒鳴り込んではいないからまあ静観と言っていいだろう。多分。
「……何見てるんですか世一、こちとら見せ物じゃありませんが?」
「十分見せもんだろ、特等席とられてるくせに」
「は?譲ってあげてるのがわからないんですか?わざわざこのテーブルに座りに来た野次馬世一のくせに」
「は?空いてるから座っただけでお前の近くには座りに来てねーよ自意識過剰野郎」
「は??気持ち悪いこと言わないでくれます?僕じゃなくてカイザー目当てなんでしょう」
「は??もっと気持ち悪いこと言わないでくれます?なんで同卓でもないとこ座ってアイツ目当てだと思われなきゃなんないんだよ」
「ここがカイザーの邪魔をせず姿を見られるべスポジだからに決まってるでしょうアホ世一」
「やっぱ見せもんじゃん時間返せ」
何か他にも嚙みついてきそうだったが如何せん腹が減りすぎていたから無視してスプーンをルーに突っ込む。なんといっても今日はカレー、楽しみにしていないわけがない。
湯気の立ったカレーライスを口の前まで運びながら潔は口を開く。
「い」
「ゴチソーサマ!デシタ!」
いただきます。その言葉は目の前の紫頭が溌溂と放った言葉に掻き消された。翻訳イヤホンを通さなくても聞き取れた、そう確信できるくらいはっきりとした発音の日本語だった。
驚いて中途半端に口を開いたまま固まる潔を余所に、立ち上がりかけたロレンツォを引き留める茨の絡んだ腕。
「おい、ちゃんと手を合わせろ」
不服にも聞き慣れてしまった声が何となく優し気に聞こえてしまい背筋がゾッとする。カイザーにとって今の言葉は驚くものでも何でもないらしい。それどころか所作への注意を促す始末。
それに反発するでもなくヘラリと笑って「そーだった」と改めて手を合わせただろう背中から目が離せない。頬張る予定だったカレーはまだスプーンの上だ。
「ごちそーさまでした!」
「ご馳走様でした」
きっちり。それはもうきっちりと。先ほどのものより綺麗な発音と、もはや日本人だろとしか思えない完ぺきな発音。明らかに、言い慣れている。
思い返せば至る所に兆候はあった。ただ初対面の印象が悪すぎて、自分の中で「そんなはずがない」とレッテルを貼っていた。
例えば、靴を脱いでの生活に全く抵抗を持っていないことだとか。
例えば、日本食メニューへの忌避感が見られないことだとか。
例えば、自ら進んで湯船に浸かって温まろうとすることだとか。
「アイツら、日本が好きなのか?」
「っ、モゴ!もごもごもご!」
「いや何言ってるのか分かんねーけど」
奇妙な声がして横に顔を向けたら、残りのご飯を一気に口に詰め込んでか頬袋パンパンにしたネスが眉を吊り上げてなんか言っていた。
「モッモッ!もごごご!」
「何怒ってんだよ知らないけど」
「モゴ〜〜〜〜!!!」
「おい、クソうるさいぞネス。静かに食え」
いつの間にか隣に立っていたカイザーの一声が、何言ってるのか本当に全くこれっぽっちも伝わらないやかましい呻き声を黙らせた。一緒に座ってたはずのロレンツォもカイザーの横で「だぁー♪お前ら漫才コンビ?」とケタケタ笑っている。
「……何の用だよ」
「世一は自分に用があって俺が立ち止まったと思ってるのか。それはそれは、素敵でおめでたい頭だな?」
「あ?」
「そんなお前のためだ構ってやろう、泣いて喜べよ」
「いらねーよどっか行け」
「ミヒャ長くなる〜?俺先に戻ってzoom繋いどいてイイ?」
「は?俺も戻るが?くそ、命拾いしたな世一」
「うるせーな早くどっか行け」
「ネス、今日俺の部屋の方だからお前来るなよ」
「ッッカイザーそんな!!」
カイザーの話し相手が口の中を空けたネスに移ったことで、やっとカレーにありつけると潔が湯気のなくなってしまった一口目を持ち上げる。
真横から、それもかなり近い場所からの不躾な視線に開きかけた口を閉じる。ネスとの会話を切り上げたカイザーがカウンターへと去っていくのに、卓上の端に肘をついたロレンツォが潔の隣でニンマリと笑っている。
「……あの、なに?カイザーあっち行ったけど」
「忘れモン、ミヒャの代わりに訂正しとくぜOK?」
「えっ何を、」
「俺もアイツも、日本が好きなんじゃねーってコト」
変わらない笑顔のままばっさりと切り捨てられた言葉にヒタリと背中に冷たいものが流れた。
「……えーっと、聞こえてた?」
「ネス坊とコンビ組んでお笑い芸人すればぁ?俺ら三人で観に行くぜ?」
「聞かせるつもりなかったからそこはごめんでもアイツとは死んでもやらないし第一に俺はサッカー選手……、三人?二人じゃなくて?」
人数が一人多いことを指摘した潔に、ロレンツォが一層笑みを深めた。
「日本が好きなのはもう一人の方で、俺らは好きな子の好きなモンを大切にしてるだけ、OK?」
「エ」
「目ェかけられてるようだったけど、どっちも俺のだかんな?邪魔すんなよイサギヨイチ?」
流れるように惚気られた。その上で牽制された。
もう一人の方ってなに?好きな子って言葉通りの意味?恋人ってことで合ってんの?俺らってことは三人で付き合ってるってこと?ドン・ロレンツォとミヒャエル・カイザーが付き合ってるってこと?その上でこの二人と付き合ってる第三者がいる?言い方からしてそのもう一人を俺は知ってんの?えっ誰??
思考が大気圏を突き抜けた潔を横目に、食後のトレーを返却し戻ってきたカイザーがロレンツォを迎えに来る。その最中、フリーズ中の潔と手元の皿を一瞥した。
「なんだ、お前もセキガハラか世一」
「ネ、やっぱ一番なんだろーね」
「アイツもそう言ってたし、日本人の舌ならより美味さが分かるのかもな」
「じゃな〜冷めない内に喰いな〜」
ただそれだけ言い残して去っていく二人の後ろ姿。潔はただ背後に宇宙を背負うしかなかった。