料理油がパチパチと跳ねる音に合わせて、私は調子っぱずれな鼻歌を奏でている。これは、もう直したご機嫌な時の癖。
(あゝ ゆめだ)
天井の辺りで、私を俯瞰する私の声がぼんやりと響く。けれども、それは油がパチパチと跳ね踊る音にあっさりと蹴散らされてしまった。
聞いているだけでつられそうになる、楽しげなステップ。お家のリビングでしか聞くことのできない、特別なもの。
「 ( おかあさん ) 」
二つの声が重なって、今も昔も、世界でいちばん愛しいひとの背中に呼びかける。でも、私は彼女が振り返らないと知っている。
だって、彼女は料理人だから。
グルメ通りと名高き23区の住人を名乗るに相応しい矜持を持っているひとなんだ。だから、何があっても料理中に厨房から目を離すことはしないんだって─────
「なあに?」
ほら、やっぱり夢だ。
暖かいリビングの空気とは違う、青ざめた外気がひやりと身体に触れる。促されるように目を開ければ、自然と私は暗い天井を仰いでいた。
「……a」
試しに喉を動かすと、乾きで不恰好になった声が耳に届く。ン、現実だ。そしてここは私一人だけが住む家にある寝室。
自覚した途端にきゅるる、とお腹が鳴った。あの夢を見た後はいつもこうなる。
はあ、とサイドテーブルに置いてある吸飲みをとって、水を流し込んでからため息をついた。
「……ふぁ、ああ……ミートシチュー、残ってたかしら……」
もはや染みついてしまった起き抜けのセリフを零しながら冷蔵庫の扉を開き、しっかり置いてあった鍋を取り出して、火にかける。
その間にパンを一枚、オーブンでブン。
「いただきます」
香ばしい色をつけたパンと、食欲を唆る匂いを立ち上らせるシチューをお皿に盛って、いそいそと口に運ぶ。
一日置いたおかげでたっぷり旨味を取り込んだブロック肉は、少し歯を当てるだけでほぐれるほどに柔らかい。
濃厚な肉汁とスープを吸ったパンが手を取り合いながら胃の中に落ちていく。
曖昧でない、確かな熱を感じて気力が一つ一つ湧き始めたことを実感しながら、私はスプーンを置いた。
「……ごちそうさまでした」
私に力を与えてくれた今は亡き人に向けて、一分ほど手を合わせる。
感謝を込めた黙祷を捧げ終わってからあげた視線の先では、昇ってきた陽光に照らされた文字盤が、今が朝の6:00だということを告げていた。
さて、今日は何をしようか。
まずはお皿を洗って、その後は……
「急ぎの仕事もないし、ショッピングにでも行こうかしら」
いつもより少しだけ用心してね。
夢を見た日は、いつもより少しだけ、変なことが起こるから。