カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光が、時計の針を11時過ぎに進めても、ベッドの上では二人が寄り添ったまま、ゆっくりとした時間に身を委ねていた。
「先生、そろそろ起きませんか?」
毛布の中から聞こえたのは、月守スズミの穏やかな声だった。銀髪が隣の人物の腕に絡まり、彼女はTシャツ姿で体を預けている。普段はトリニティ自警団の一員として凛とした態度を崩さないスズミも、このときばかりは目を半分だけ開け、まだ夢の中にいるような表情を浮かべていた。
「ん……スズミの隣、あったかいから……もうちょっと……」
もごもごとした声に、スズミは小さく笑った。
「先生は本当にだらしないですね」
そう言いながらも、彼女は離れる気配を見せず、むしろ先生の胸元へと頬をすり寄せる。二人の間に流れる空気はゆるやかで、時間だけが静かに過ぎていった。
正午を回る頃、スズミがようやく身を起こした。「お腹が空きましたね」と小さく呟くと、先生がスマートフォンを手に取り提案する。
「ファストフードでいい? いつもの店、配達してくれるよ」
「ポテトは多めでお願いします。……ナゲットも、ぜひ」
スズミは軽く頷きながらも、いつも通りの丁寧な口調で注文を伝えた。
約30分後、テーブルの上にはハンバーガーやポテト、ナゲットが所狭しと並んだ。紙袋を開く音と揚げ物の香りが、部屋の空気を満たしていく。
ソファに腰を下ろしたスズミは、背もたれに深く身を預け、ゆっくりと息を吐いた。普段の姿勢からは想像もできないほど、肩の力が抜けている。
「こういう時間、つい油断してしまいます……任務を忘れるくらいに」
ポテトを一本つまみ、ぽつりと漏らすように言う。
「それでいいんだって。今日はのんびりする日のはずでしょ」
先生の返事に、スズミは小さく肩をすくめ、照れ隠しのように笑う。
「……それなら、少しだけ甘えても?」
そう言って、彼女はポテトを一本手に取り、そっと先生の口元へ差し出した。照れた様子で視線を外しながらも、その仕草にはどこか期待が滲んでいた。
「どうぞ、食べてください」
「じゃあ、スズミもあーん」
先生がナゲットを差し出すと、スズミは一瞬だけ不満げに眉を寄せる。
「……子供扱いは遠慮します」
そう口にしつつも、彼女は差し出されたナゲットを静かに口に運んだ。口元を軽く拭いながら、頬がうっすらと赤く染まっていた。
食事を終えると、自然と身体をソファに預けていた。スズミがリモコンを手に取りテレビをつけると、画面にはキヴォトス産のB級アクション映画が映し出される。
「この展開、雑すぎませんか」
「でも、なんか面白いよね」
互いにツッコミを入れながら笑い合ううちに、スズミは先生の肩にもたれ、静かに体重を預けた。
「先生、こうしていると……とても温かいですね」
彼女の声は小さく、映画の効果音に紛れそうだったが、先生の耳にははっきり届いていた。そっと添えられたスズミの手が、先生の手に重なる。
午後はゲームの時間に移る。スズミがSwitchを取り出し、「対戦なら負けませんよ」と格闘ゲームを起動した。自警団仕込みの正確な操作で優位に進めるものの、先生がわざと隙を作って敗北を避けると、彼女は頬を膨らませた。
「……手加減は不要です。むしろ腹立たしいです」
それでも「もう一度お願いします!」と真剣な眼差しを向けてくるあたり、ゲームへの熱意と素直さが混じっていて、先生は思わず笑ってしまう。
休憩の合間、スズミはソファに寝転び、先生の膝に頭を預ける。髪に指が触れると、彼女は目を閉じたまま小さく言った。
「……気持ちいいので、そのままお願いします」
やがて夜が訪れ、部屋の明かりもほんのりと落とされた。スズミは動こうとせず、ソファに身を沈めたまま、つぶやくように言った。
「動きたくありませんね……今日は、ずっとこのままでいたい気分です」
先生はスマホを操作しながら笑い、「じゃあ、ピザ頼もうか」と気軽に答えた。数十分後、香ばしい香りとともに、大きな箱が届いた。
テーブルに並んだ熱々のピザの前で、二人は床に座って並び、気取らずに手を伸ばす。スズミは箱の隅に置かれたチーズの焦げ目を眺めながら、小さな声で口を開いた。
「今日は……何もしませんでしたね、先生」
その言葉には、わずかな罪悪感のようなものが滲んでいた。
「不満だった?」
問いかけに、スズミはひと呼吸置いてから、首を横に振る。そのまま俯き気味に笑みを浮かべる。
「いえ。不思議と……とても満たされています。静かで、暖かくて……それだけで」
先生はそれ以上何も言わず、そっとピザを手に取って彼女の方へ差し出した。スズミは一瞬だけ視線を泳がせたが、「ありがとうございます」と恥ずかしそうに受け取り、口元を拭くフリをして頬の赤みを隠した。
食事のあとは、ソファで並んだまましばらくテレビを見ていたが、やがてスズミがぽつりと口を開いた。
「そろそろ、お風呂……ですね」
「一緒に入りたいな」
冗談めかしたような軽い声に、スズミは目を細めて黙り込んだ。ほんの数秒の沈黙のあと、頬に手を添えながら言う。
「……仕方ありませんね。今日は特別ですから」
脱衣所に入ると、湯気の向こうでスズミが髪をまとめている姿が鏡越しに映った。先生が湯船に浸かると、彼女も静かに肩まで沈む。湯面に浮かぶシャンプーの泡が、ぽつぽつと弾ける。
「先生…ずっとこうしていたいです」
湯気に包まれた声はかすかだったが、良く響いた。二人の間に言葉はそれ以上必要なく、湯船の温かさと互いの存在だけが、その場を満たしていた。
夜が更け、再びベッドに戻る。毛布にくるまると、スズミは自然に先生の胸元へ顔を寄せた。静かな寝息がすぐ耳元で感じられる距離。
「おやすみ、スズミ」
返事はなかったが、代わりにスズミの手がそっと伸びて、先生の指先を優しく握り返した。